2012年10月16日火曜日

今年度、横浜中ロータリークラブでは社会奉仕活動として、黄色いハンカチ運動をサポートしていくことになりました。
   黄色いハンカチ運動とは
障害者の方はもちろん、お年寄り、持病がある方、一般の方も含めて、すべての方々に、外出先で困った時に「手を貸して下さい」の合図を知っていただく活動です。
    きっかけは提唱者である宇野弘信氏(内部疾患の第一級障害者で外見からは健常者と全く変わらない)が足代わりに車を使用していたのですが、ある日、運転中にタイヤがパンク、窓の外はみぞれ。手を振っても振っても対向車のドライバーは、チラッと見ていくが走り過ぎていく・・
 「これではダメだ・・」、今度はタオルを振ってみた。一台、二台、三台・・五台。
  「どうしました?」、五台目のドライバーが声を掛けてくれた。
    パンクした事を告げ「手を貸して欲しい」と頼むと、外見は丈夫そうな氏の姿を見て「パンク・・自分でやりなよ!」と走り去っていった。
  天気はみぞれから雪に変わっていた。「どうしたらわかってもらえるだろう・・」
  「これだ!」、紙に一級障害者の手帳を貼り付け、”手を貸して下さい”と書き、愛車の前に立った。一台の車が止まり「次のエリアで電話してあげますよ」
  やっと助け船。
 あるときは駅の階段で息が苦しくなり、しゃがみこんで倒れる。意識はあるが声が出ない・・
  目の前で幾人もの足が見えるが、立ち止まってくれる様子はない。
  「いやねぇ、こんな昼間からお酒によって・・」そんな声が耳に入る。誰ひとりとして声を掛けてくれない・・
 そんな経験から「黄色いハンカチ運動」をスタートさせた。
2.黄色いハンカチ運動のスタート
 (1) 1988年「黄色いハンカチ運動」のキャンペーンを一人で始める。
   当時の福島県知事の”各県知事宛の黄色いハンカチ運動協力願い”を携え、手作   りの黄色いハンカチ五千枚を持参し、全国を訪ね、協力を呼びかけた。私財を投   げ打っての独りぼっちのスタートだった。
 (2) 1990年3月7日当時の総理府(後援)から全国キャンペーン再スタート。
        (第一回キャンペーン中に心臓発作のため中断)
 (3) 1996年石川県金沢市中学校副読本になる。
 (4) 1997年新潟県長岡市中学校副読本になる。
 (5) 1998年「ドン・キホーテがゆく~カネなし人脈なし体力なし~」出版。
 (6) 黄色いハンカチ運動のホームページ。

あなたはこんな経験ありませんでしたか

2012年10月14日日曜日

 H24.10.12、国際ロータリー2590地区のチャリティーディナーパーティーが、新横浜国際ホテルでありました。大勢の参加者で会場は盛り上がりました。
 私の所属している横浜中RCに”プールブヴァール”というコーラス同好会がありますが、今回、ショータイムに、”愛のよろこび、見上げてごらん夜の星を、花”を歌いました。また、新横浜国際ホテル・グループの社員でつくるジャズバンドも素晴らしかったです。